推し活の一環で、映画『汝、星の如く』を観てきました。
原作は昨年読みましたがあんまり刺さらなかったので、
実は映画鑑賞も気が進まなかったけど、でも流星さんが魂込めて演じたのに、観ないのもなぁ…
とやや消極的に観てきた感想なので、作品好きな方とは合わないと思います。
でも映画には映画の良さがあり、原作もわりと好きなところはあったんだなと再発見はできました。
1回しか観てないのでうろ覚えですが、感想スタート!
序盤
冒頭、「どういう状況?」と思った原作とは違い、
櫂の回想という形で、櫂と暁海の高校時代からスタート。
流星くん、『正体』の時にまだ高校生役やれそうじゃん!と思ったけど、高校生櫂、かっこいい!
広瀬すずさん、化粧っけがなくても美貌が強い。
それでいて素朴さもあって、高校生してる2人として問題なく見れてすごいと思いました。
舞台は瀬戸内の島?
隣町へ行くのにバス移動…
ローカル路線バスの旅好きな者からすると、過酷すぎてマドンナが号泣したしまなみ街道の回が思い出されますw
櫂がパピコを渡すのは映画オリジナルだっけどうだっけ?
2つで一つとか、分けることができるとか、いい比喩だと思いました。
(原作読み返したら、パピコ出てきました!)
瞳子について~2人の接近
開始数分で暁海の父の浮気相手・瞳子に会いに行くの、展開が早くて助かる〜。
実は暁海は以前も(偵察のため?)瞳子の刺繍教室をお試しで受講したことがあるという話は原作に出てたっけ?
と気になり映画鑑賞後に読み返したら、こちらも出てました!
父親の不倫がきっかけでそのお相手(瞳子)と、瞳子の生業である刺繍の世界を知り、魅了されてしまった…。
なんとも因果な巡り合わせですね。
暁海にとって瞳子は、父を奪い家庭を壊した人だけれども、それだけではなく、刺繍を教えてくれた憧れの対象でもあるという訳ですが、暁海の母親からすると当然許せない存在な訳で、暁海母はどんどん壊れてしまい…
いやー、木村佳乃さんが出てくると作品が一気にホラーになって怖かったです!
櫂も母親が悩みのタネで…
漫画の原作となるストーリーを書くことで自分の居場所を見出す櫂と、同じく家に居づらい暁海が急接近していく説得力、あったと思います。
卒業後の進路
櫂と作画担当の尚人の作品は商業誌のデビューを勝ち取り、櫂は卒業したら上京すると暁海に告げます。
海辺でのこのシーン、暁海と櫂の歩く足取りがズレていくのが、後の2人の関係の暗示となっていましたね。
かなり先のシーンになりますが、暁海は別の人とは足並みが合っていたので、対比にもなっていて、拘りポイントなんだろうなと思いました。
暁海の選択/作品テーマについて
一時は櫂と一緒に東京へ行くことも考えていた暁海ですが、不安定な状態の母親を放っておくことができず、島から出ないという選択をします。
私がこの作品で一番理解できないのはここなんですよね。
櫂は(暁海のサポートもあり)母親の手を離すことができたけど(それ故ちょっと哀しいこともあるけど)、
暁海はなんで母親の手を離さない選択をするんだろう?
この作品、「何が正しいかは人が決めることではない」とか、「人生を誤りたい」と言った台詞や心の言葉が作中に出てきたと思いますし、
何が合っていて何が間違っているかはその人が決めればいいというのには同意だけど、
櫂を頼って上京するのはダメ、
でも、父と瞳子に進学費用出してもらうのは?
島に残って母親のケアをしつつ、給料を男女で差をつけられるのは?
この部分について考えてみたところ、一応私の中で答えは出ましたが…
この作品、
「子ども(特に女の子?)は母親を見捨てられない」というある種の『正しさ』を、読者に暗黙の了解の如く、さりげなく押し付けているのでは?
高校生の親なんてまだ40〜50代でしょ?
今まで島暮らししていて、娘以外に頼れる人は誰もいないの?
暁海と母親の仲良しエピソードや、暁海の母親が島でどう暮らしていたのかの描写が全くないので、
『子どもは親を見捨てないものだ』という一般的な『正しさ』の押し付けが、私には合わなかったのかもしれないですね…。
(押し付けられてるように感じた、というのはあくまで私が感じたことで、本当に作品が意図していたことなのかは不明ですが、暁海と母親の関係性の描写はなかったように思うので、「この作品をどう理解すればいいのか?」と考えると、そういう解法に行き着いてしまいました)
瞳子と父親は進学費用を出すと言ってくれているのだから、暁海は進学するという選択肢だってあったはず。
櫂を頼って上京するのは(母親と同じになってしまうので)ダメなのは理解できるけど(でも結果的にそうしたほうが良かったかもしれないという選択肢ではある)、
10代の子どもが親に学費を出してもらうことは、誰かに依存することは別ですよね?
島に残って母親のケアをしつつ、給料を男女で差をつけられてしまうのを見ると、
氷河期でないなら(笑)、進学して大卒で就職した方が良いお給料貰えた可能性が高いのでは?
と思ってしまいます。
要は、作品が提示している『正しいか正しくないか』というテーマと暁海の選択があまり合ってるように思えないし、
その違和感をなくすには、暗黙の了解とされているかのような『正しさ』に気づかないのが良いってこと?
と思ってしまったので、私にはこの作品が刺さらないのかもしれないです。
尚人について
何が正しくて正しくないかでいうと、
多くの人がショックを受けたのは尚人のシーンではないでしょうか。
注目の松村北斗さん、柔らかな雰囲気の尚人から、かなりの変貌を遂げた姿(SMiLE以降のブライアン・ウィルソンみたい!)まで、しっかり尚人になっていて、すごいと思いました。
尚人自身は特別な相手をただ愛したいだけなのに、ある側面から、それは正しくないことだと非難されてしまう。
そして暗黒期のブライアン化して、そして…
一般的にいう『正しさ』で判定すると、尚人は正しくない選択ばかりしてしまいます。
でも、原作だと尚人って、ネットバッシングという世間からの『正しい声』にめっちゃ晒されてたのに、映画ではその描写はなかったように思うので、
原作よりはマイルドになってましたね。
けど、だとしたら、尚人という人物の与えるインパクトが大きいだけに、尚人もまた作品テーマに合っていない印象を受けてしまいました。
良かった点
ちょっとダメ出しが多くなってしまったので良かったポイントもいくつか。
植原さん、北原先生
植原さんは原作同様いい人で良かった!
「櫂くん違うよ…」と必死で櫂をなだめているシーンは胸にくるものがありました。
北原先生はすごく良いんだけど、実は評価が難しい人物なような。
創作作品だからこのくらいやってくれて面白いんだけど、
都合良すぎると言ってしまえばそれはそうだと思います(笑)。
でも、世間的に正しいことを装って、世間的には正しくないけど本心に抗えない行動を肯定できる人ですよね。
うーん、長谷川さんがついに麒麟(想像上のすごい存在、ファンタジーな存在)になってしまったのかも!?
櫂(横浜流星さん)について
そして推しの横浜流星さん。
彼がこの作品に惹かれるのはなんかわかる気がする。
暁海に比べて櫂はわかりやすいですよね。
暁海の母と違って櫂の母は惚れっぽくて恋人がコロコロ変わる。
多少放っておいても、依存先を変えられる人だから、櫂としては成功することが親孝行だし、高校生の時点で足がかりは掴んでいたし。
仕事には一生懸命で、事件が起きても仲間を大事にして、島にいる暁海のことも櫂としては大事に想ってるつもりで。
櫂としてはその時その時を生きてるんだろうなというのは伝わってきましたし、
終盤の姿は…ここまでやるか、すごいなぁ…と思いました。
映画で惜しかったのは、原作だと二階堂さんに頼み込まれて、事件後しばらくしてちょっとしたエッセイは書いていて、ダメな大人にそこそこ人気だったという面白いエピソードがあったと思うんですが、それがなくなってたのは残念でした。
でも原作の櫂はシュシュどころじゃないんで(笑)、言い出したらキリがないかな。
櫂(流星さんの演技)で特に印象深いのは、よく口にしていた「ええよ」という返事。
高校卒業時、暁海が島に残る決断をしても2人は別れず、櫂は「浮気はしない」と誓う。
けれど漫画がヒットし、仕事に邁進し環境に染まっていく櫂は、彼に引け目を感じつつも地道に努力している暁海のことがつまらない存在に思えてしまう。
(それを含めて好きとは言っていたけれど…!)
すれ違いを重ね険悪な雰囲気になっても、櫂は「喧嘩はしたない」と姿をくらます。
櫂の「ええよ」は、優しいけど、人付き合いにおいてはどこか自分を出し切れない・相手に何かしてほしいという希望や期待を持たないのと近い部分があり、
櫂と暁海の関係は、相手にぶつかり切れないところがもどかしかったなと思います。
(流星さんの京都弁、良かったですねー!方言指導が以前ドラマで共演以降親交のある丸山さんだとSNSで話題になっていましたが、最初に名前に気づいた人、すごい!)
そしてやっぱりわからない点
暁海について
前の方でも書いたけど、私には暁海の選択、選択したときの心情がわかりません。
原作を読んだときも暁海のことはさっぱりわからなかったんですよね…
暁海が刺繍で成功したのはすごいと思うし(でも、しっかり稼げてるのかどうかまではわからないんだけど)、
暁海は瞳子にマンツーマンで刺繍を教わる場面もあり、
これちゃんと習うと謝礼かかるだろうから瞳子なりの償いをしてるのかな、
暁海が島?今治?に残ったメリットもあったんだろうなとは思うんだけど、
でもやっぱり進学・上京しなかったのは解せないし、
(東京ではなくもう少し近くの都会でもいいのに)
結局母親には、刺繍のことは話せないまま?というのも引っかかります。
漫画で成功した櫂が暁海のことを
「漫画や映画の話をしたいけど、そういう話ができない」って言ってたけど、
刺繍ってデザイン考えたりもするでしょ?
漫画にも色々あるし、絵画や映画から、美的センスを養ったりすることもあるんじゃないかな?
母親の面倒と仕事と刺繍でそういったインプットに時間や費用を割くことはできなさそうだけど、
自宅にはピアノが置いてあったりして、音楽好きだったんじゃないのかな?とか、
人物像を深められる要素はありそうなのに
櫂が暁海を見ようとしなかったのか、暁海のディテールが描かれていないのが謎でしたが…
「刺さった」という他の人の感想を読むと、暁海のディテールを書きすぎてしまうと、観た人と違う部分が出てきてしまい、感情移入しづらくなってしまうのかな!?
櫂の方は、島時代の部屋に漫画がいっぱいあって、飲み屋をやってる母親の客が漫画を置いていったりするのかな?と想像できたり、
ヘッドフォンやノートパソコンなどは、(これまた想像ですが)担当がついてるくらいだから、持ち込み作品が何らかの賞で漫画入賞した?その時の賞金で買ったのかな?それとも植原さんが貸してくれた?等、映画の小道具を見て、色々想像できて、「こういう人いそう」と人間味が感じられて楽しかったです。
まとめると
終盤、暁海の心の声として、
「愛する人のために人生を誤りたい」という台詞がありました。
これは、30代の暁海の状態からして、櫂の元へ行くというのは、
一般的には間違っていることだけど…!
という意味だと思います。
この、終盤の決断の「正しくないけど本心に従った行動」だけが、
誤りなのか?
映画のはじめの方、高校生時代の2人が
「この島には正しい家族しかいない」
「うちも正しい家族じゃない」
みたいに言って惹かれ合っていくシーンがあったと思います。
つまりは、何が正しくて何が正しくないかは、終盤だけではなく冒頭から提示されたテーマだと思うのですが、
作品全体を思い返すと、なんだかやっぱりしっくりきません。
考えてみたら、暁海の一番の選択は「島に残る」ではなく、「自立した大人になりたい」が強いですよね。
CMでもよく流れていた『人生を誤りたい』の場面が、この作品の一番の見せ場として打ち出されているし、そのまま受け取ってしまったほうが感動できて楽なんだろうな…と思うけど、
でも終盤の決断って、だいぶ特殊な北原先生からのサポートを得られた・暁海の人生が揺るがないものとなった・地盤を固めてからのものだと思うと、
あっそうですか、身内がいいって言って本人そうしたいならそれでいいんじゃないですか、って感じですよね。
「まずは自立してから」…自立するのが目的なのに、選ぶルートがそれなの?という部分と、
暁海の選択の末の映画の結末が、結果的に暁海という女性が仕事でも家庭でも(身近な人への対応としても)立派に働き、ケア役ができるというスーパーウーマン像に思えてしまうところが、私には合わなかったのかもしれません。
更に言うと、中身は違うけど、形だけ見ると、暁海の最後の選択って、やってることは暁海父と近いんですよね…。
映画ではラストに2人の15年が走馬灯のようにフラッシュバックして感動を誘っていましたが、私は2人が楽しそうにしてるシーンをもっと普通に観たかったかも、と思ってしまいました。
けどもしそういう演出だったら、
暁海の両親は上手くいかなかったけど、櫂と暁海なら上手くいくかもしれないじゃん!
進学の選択も、櫂に付いていくという選択も、もしかしたら間違いじゃなかったかもしれないじゃん!と余計に思ってしまったかも(笑)。
私みたいな細かいことが気になるタイプ、描かれていることをベースに話したいタイプにはあんまり合わない作品でしたが、
俳優さんたちの演技は良かったので、評価が難しい作品ですね。
おしまい。





















