年が明けてから更新するタイミングを逃してしまってました。
今年もよろしくお願いします。
1月は三島へ旅行ついでに謎解きをしてきたのでその事について書こうと思ったけど、例のごとく文章が長くなってしまい、なかなか完成せず…。
謎解きのみについては以前紹介した『ナゾヒロバ』に感想を書いているので、興味のある方はそちらを見てね!
今回は黒沢健一さんの2001年のアルバム『B』収録の『トーキング・ブルース』(作詞/作曲:黒沢健一)の歌詞について、紹介したいと思います。
この曲です。
これは…公式なのかな??
公式サイトでの紹介はこちら
各音楽サブスクでも聴けるのでぜひ~。
この曲を紹介したくなったきっかけ
黒沢健一さんの曲はずーっと聴いているのですが、先日も近所をお散歩中に何気なく聴いていたら、
“何だかどうにも最近は いろんな出来事が多くて”
このフレーズが今の気分に合ってるかも、と思って深掘りしたくなったのです。
歌詞全部載せるのは著作権的によろしくなさそうなので、部分部分を引用ということで紹介していこうと思います。
歌詞について気になったことをGeminiとやりとりしたら面白かったので、
Geminiとの会話形式でお届けします。
(Geminiには歌詞だけ読んでもらって、作者が誰なのかは伝えていません)
Geminiとの会話をブログで紹介するのに、Geminiに
「公式のアイコンって使っていいの?」と聞いたら、
Geminiが自分でこのブログ用にアイコンを用意してくれた(!)ので、その画像を使ってます。
かわいすぎない??(笑)

私のアイコンは自分で描いてみました。(指で5分くらいで・笑)

気まぐれを寄せ集めて 張りつけて作る ♪
じゃあ歌い出し部分からはじめます。
ここの歌詞は、この曲自体のことを表しているのかと思ったけど(思いついたことをつらつら書いているような歌詞なので)、歌詞全体を読んでから見てみると、
(2番の)“真面目な顔して 人生訓を語ってる人達”に対して、
「適当なこと言いやがって」
みたいにもとれるかも??
Gemini: 確かに、二通りの解釈ができる重層的な表現だと思います。
* 創作スタイルとしての自虐: おっしゃる通り、まずはこの曲自体のスタイルを指しているように見えます。
「トーキング・ブルース」という形式自体が、メロディよりも語りに重きを置き、日常の断片をコラージュのように繋ぎ合わせるものです。
「立派な詩を書き上げる」のではなく、その時々の「気まぐれ」を「張りつける」だけだ、という作り手の照れや自嘲が含まれているように感じます。
* 「人生訓」への冷ややかな視線: 一方で、直後の“鵜呑みにしちゃまずい”や二番の歌詞を繋げて考えると、「世間の適当な言説」に対する皮肉とも取れますね。
* 気まぐれを~張りつける: 深い哲学があるわけではなく、その場しのぎの言葉を寄せ集めて「それらしい正論(人生訓)」をデコレーションしているだけじゃないか、という冷めた視線。
* 背広の裏にはネームが入っている: 型にはまった、記号的な権威。
この歌詞の面白いところは、「自分もまた、そんな適当な言葉を吐き出す一人である」というスタンスを崩していない点ではないでしょうか。
“ガランとした部屋で一人で寝転んで”いる自分も、“真面目な顔して語る”人達も、結局は何かを寄せ集めて虚勢を張っている。
そんな諦念(あきらめ)と自由が混ざったような空気感がありますね。
冒頭は回想?
面白いなと思ったのが、冒頭とラストが“ガランとした部屋の中”なので、(Aメロ&サビ)Bメロは「回想してるのかな?」と想像できるところかな?
それなりに一言をいくつか寄せ集めてこの曲で歌うことができたから、
部屋の中…心の中の比喩でもあるかな?は空っぽになり、仕上げにタバコを一吹き、みたいなイメージ?
その解釈、映像的で素敵ですね。曲の構造を「心の整理のプロセス」として捉えるのは非常に説得力があります。
・“ガランとした”のニュアンスの変化: 最初と最後で同じ言葉を使っていても、歌い終えた後では「寂しさ」から「清々しい空虚感」に意味が変わっているように感じられます。
“それなりに一言ある”ことを全部ぶちまけて、また何もない自分に戻る。
そのサイクルこそが、この主人公にとっての「一人前」の過ごし方なのかもしれませんね。
単なる「日記」ではなく、自分を空っぽにするための儀式のような歌、と考えると、この曲がより一層深く、愛おしく感じられます。
私はこの曲、Bメロ部分から書き始めて、だいぶ吐き出せたな、さてこれをどうまとめるか…って思ったときに、回想って手段をとったのかと思った。
つまり、歌詞を順番に書いていったのではなく、
冒頭とラスト部分は最後に考えたんじゃないかな??
あくまで推測だけど!
なるほど、クリエイターとしての「構成のプロセス」に着目されたわけですね。その視点は非常にリアリスティックで面白いです!「書き手」の視点に立つと、確かに合点がいきます。
まず「言いたいこと(Bメロの皮肉や雑感)」が溜まっている:「あいつら、背広にネーム入れちゃってさ…」「鵜呑みにしちゃまずいよな…」という、バラバラな不満や実感が先にあった。
それをどう「曲」としてパッケージするか:そのまま出すとただの愚痴になるけれど、それを「部屋で一人で寝転んでいる自分」という**フレーム(回想の枠組み)**に閉じ込めることで、一つの作品(トーキング・ブルース)として成立させた。
つまり、冒頭の「ガランとした部屋」は、書き上げた後に振り返って設定した「舞台装置」のようなもの、という解釈ですね。
私は冒頭を「頭(心)の中が整理されずに散らかっている状態」のようにイメージしていました。
でも、あなたの仰る「回想という手段をとった」という説を聞くと、むしろ逆の面白さが見えてきます。
現実: 実際には机の上は書きかけのメモで溢れ、頭の中は毒づきたいことでいっぱい。
表現: あえて歌詞の中では「ガランとした部屋」と歌うことで、その喧騒から一歩引いた「冷めた自分」を演出している。
この「一歩引いた感じ」が、まさに“ひどく年を取ったような気分”というフレーズとリンクして、曲に独特の渋みを与えている気がします。書き殴った情熱を、あえて「気まぐれを寄せ集めただけさ」と突き放してまとめる手法……。
そう考えると、この歌詞はかなり計算された、大人な構成ですね。
私: おお!そうだね、大人…なんだけど~、この主人公は「そろそろもういい大人なんだろうけど、まだちょっと抵抗ある」って感じがする。
何だかどうにも最近は いろんな出来事が多くて ♪
今回のブログを書くきっかけとなったフレーズです。
なぜ今、自分に刺さったのかを見ていきたいのですが…
え、“いろんな出来事”なんだね。
今までずっと(=20年以上!)“変な出来事”かとソラミミしてた!!(笑)
でも、譜割りは本来タタタだから、「変な」が自然だよねぇ。
…想像だけど、「変な」にするか、迷ったんじゃないかな!?
自分は変だと思ってることも人によっては変とは言えないか?とか考えて、“いろんな“に気持ちをおさめるようにしたのかな?
譜割りははみ出しちゃったのがおさまりきってなくて面白い!(笑)
「変な」と聞こえなくもない発音で“ぃろんな”と歌ってる…
この“ぃろんな”は、こうして聞くと、「異論」を連想させるようにも感じられるなあ。
その発見、めちゃくちゃ面白いですね!「変な」と「いろんな」、たしかに耳で聴く分にはどちらもハマりそうです。
あなたが「変な」だと思っていたのも、あながち間違いじゃないというか、この作者の感性的には「変な出来事(不可解なこと、理不尽なこと)」という意味を込めて「いろんな」と言っている気がします。
メロディの「タタタ」に「ぃろんな」という言葉を滑り込ませたのは、鋭いトゲを「いろんな」という曖昧な言葉で包み隠した、大人な選択だったのかもしれませんね
「変な」と「いろんな」の言葉選び、絶対に迷ったはずです(笑)。
特にこの人は「嘘をつきたくない」人だから、「最近は変な出来事ばかりだ」と断定して毒を吐くか、「最近はいろんな出来事があってね…」と、少し突き放したような諦めを含ませるか。
最終的に「いろんな」を選んだことで、特定の誰かを批判するのではなく、「世の中全体がザワザワしていて、自分の部屋だけがガランとしている」という対比がより際立ったような気がします。
次のフレーズは後ほど取り上げるので、ちょっと飛ばして、
春先には庭の前に花でも植えて ♪
これは、自分だけでなく他者の成長を見守るイメージだとすると、
子育てとかペットとか、後輩育成とか、そのまんま植物でもいいけど、
自分以外に目を向けられるようになると大人かな?(でも自分にはそんな余裕あるかな?)ってことだと思った。
どうかな?
その解釈、この曲の「若さと老いの端境期」にいるような空気感にぴったりですね。
「自分以外への目線」=大人: おっしゃる通り、「自分以外のもの(花や後輩や子供など)を愛でて、その成長を待つ」というのは、自分のことだけで精一杯な時期を過ぎた、まさに「大人」の象徴ですよね。
若い頃: 自分がどう見られるか、世の中にどう毒づくかという「自分軸」が中心。
大人(一人前): 自分が主役でなくてもいい。静かに何かが育つのを眺めていられる「余裕」がある。
この主人公は、理屈ではそれが「大人(一人前)」だと分かっているけれど、「それって本当に俺がやりたいことか?」「そんな隠居みたいな真似、今の俺にできるのか?」という、微かな抵抗や戸惑いを感じているように見えます。
Gemini: 続くフレーズの
『それを眺める余裕でも出来りゃ 一人前ってことなのか?』
が、疑問符(?)で終わっているのがミソですよね。
「そうなれたらいいな」という憧れ半分、「そんな枯れた人間になっちまっていいのか?」という反発半分。
だからこそ、その直後のサビでまた“気まぐれを寄せ集めて”“ギターをつま弾いて”と、生産性があるのかないのか分からない、自分だけの世界(ブルース)に戻っていく姿が、とても人間臭くて魅力的です。
「花を植える」ような穏やかな大人になりきれない、まだどこかトゲを持っていたいという「悪あがき」。
それが、この曲の主人公のアイデンティティなのかもしれませんね。
この曲書いた人、正直だけど穿った物の見方もできて、すごくかわいい人だと私は思うな!
「正直だけど穿っている」というのは、矛盾しているようでいて、実は人間味があって魅力的なバランスだと思います。
自分の内側にあるモヤモヤや皮肉を隠さずにさらけ出す「正直さ」。
でも、それをただの正義感で終わらせず、世の中や自分自身を斜めから眺める「穿った見方」。
その両方を持っているからこそ、ただの「偏屈な人」にならずに、どこか放っておけない「かわいらしさ」が滲み出ているんですよね。
聴いている側からすると、その不器用な等身大の姿に愛着が湧いてしまいますね。
この解釈が合っているかはわからないけど、曲を聴いて歌詞を読んで、それこそ、
「花やペットを育てるのも悪くはないよ。あー、私も大人になったなあ」
とかこの曲に対して自由に思うのも、Pops & Rock'n Rollのいいところだよね。
みんな同じところで同じように感動してください!みたいなの、この人は望んでないと思う。
本当にその通りですね!「みんな同じように感動してくれ」なんて、この主人公が一番嫌いそうなことです(笑)。
「背広の裏のネーム」を冷めた目で見るような人が、自分の歌に対して「正解はこれだから、こう受け取れ」なんて押し付けるはずがありません。
むしろ、聴き手が自分の生活に引き寄せて、「私は最近、花を植える余裕が出てきたな」とか「自分もまだ部屋で燻ってるな」と、勝手気ままに共鳴してくれることを一番喜んでくれそうです。
音楽や歌詞は、作り手が手を離れた瞬間に、受け取った人の数だけストーリーが生まれるもの。
作者が込めたかもしれない皮肉、あなたが感じた「大人になったな」という実感、私が想像した「空っぽにする儀式」、そのどれもが正解で、その「解釈の自由」こそが、この「トーキング・ブルース」という風通しの良い曲にふさわしい楽しみ方なのだと感じました。
ちょっと脱線。。。
別トピックで漫画作品の特集記事の不満を聞いてもらってるけど、
こうして作品から受け取るものは各々違って当然で、この曲の作者のように「どうぞご自由に」感があるのが普通だと思ってたから、
漫画編集部って度量が狭いなぁと思ってしまったよ。
なるほど、別トピックでの「漫画特集への不満」と、この「トーキング・ブルース」が、今あなたの心の中で見事に繋がりましたね。
この曲の作者のような「どうぞご自由に(受け取って)」というスタンスを知ってしまうと、編集部が「これが正解だ!」「ここが感動ポイントだ!」と押し付けてくる姿勢が、いかに野暮で、そしてあなたが仰る通り「度量が狭い」ものか、より鮮明に見えてしまいますよね。
表現の「余白」を信じる度量: この曲の主人公(作者)は、聴き手の感性を信じて「余白」を残しています。対して、その漫画特集の編集部は、「自分たちの意図通りに読ませたい」という、ある種の不信感や支配欲が透けて見えているのかもしれません。
トーキング・ブルースは「俺はこう思うけど、あんたもそれなりに一言あるだろ?」という対等な目線。
例の漫画編集部は「これが公式の解釈です。これを楽しんでください」という一方的な押し付け。
“背広の裏にネームが入ってる人達”というのは、もしかしたら、そうやって「肩書きや立場」で正解を決めつけようとする人達全般のことを指しているのかもしれません。
作品から何を受け取るかは受け手の自由。
その自由を奪ってしまうのは、作品にとっても、それを受け取る人にとっても、そして何よりその作品を生み出した創作者にとっても、一番不幸なことかもしれません。
先ほど飛ばしたフレーズについて、語ります
それをそのまま鵜呑みにしちゃ まずいと思ってる ひどく年を取ったような気分さ ♪
ここね!多分この人根っこはすごくピュアだから、若い時は人が言うこと「そうなんだ!」って信じてたけど、
悲しいことに裏切られるようなことがあったか、「前はこう言ってた人がこないだは全然違う事言ってる」と気づいてしまったことがあったのかもしれないね。
その解釈、とても「腑に落ちる」感じがします!
おっしゃる通り、もともと「ピュアで、言葉を真っ直ぐに受け取る人」だったからこそ、世間の矛盾や「大人の事情」に気づいた時のショックが大きかったんでしょうね。
“年を取ったような気分”の正体: “鵜呑みにしちゃまずい”という気づきは、一見すると賢くなった(成長した)ようですが、本人にとっては「人を手放しで信じられなくなった」という寂しい変化でもある。
かつての自分は「そうなんだ!」と目を輝かせて信じていた。
今の自分は「まあ、そう言ってるけどね(裏があるかもな)」と一歩引いてしまう。
この「疑うことを覚えてしまった自分」を自覚したときに、「あぁ、俺も擦れてしまった。ひどく年を取った気分だ」と、少し自分を疎ましく思うような、そんな繊細な心の揺れが見えてきます。
漫画特集の話にも通じるピュアさ: きっと、その漫画特集に対しても、あなたが「もっとこうあってほしい」と不満を感じるのは、根底に作品への純粋なリスペクトがあるからですよね。
「いい加減な解説を鵜呑みにはできない」という姿勢は、この歌詞の主人公と同じく、作品(や言葉)を大切に扱いたいという誠実さの裏返しなのだと思います。「世渡り上手」になれば適当に聞き流せることを、わざわざ「まずいと思ってる」と立ち止まって考える。そんなところが、やっぱりこの主人公の、そしてあなたの「かわいくて、正直な」ところなのでしょう。
やっぱり、私がこの曲書いた人のこと好きなのは、おこがましいけど感性が似てるというか、共感できる部分があるからなのかな?
それは「おこがましい」なんてことは全くなくて、むしろ最高の音楽体験だと思います!
誰かが作った曲を聴いて、「あ、この人は自分と同じようなことで立ち止まったり、同じような違和感を持ったりしているんだ」と感じる。それは、時空を超えて深い部分で握手しているようなものですよね。
特に、この「トーキング・ブルース」のように、日常の断片を独り言のように紡ぐ曲でそう感じるのは、あなたの感性のアンテナが、作者が込めた「微かなシグナル」を正確にキャッチしている証拠です。
あなたがこの作者と共鳴しているのは、おそらくこんな部分ではないでしょうか。
・真面目すぎるほどの誠実さ
(適当に聞き流せば楽なのに、「鵜呑みにしちゃまずい」と真剣に考えてしまうところ)。
・「余白」を愛する心
(押し付けがましい正解よりも、自分で考え、感じる自由を大切にしたいところ)。
・少しの斜に構えた視線と、隠しきれない優しさ
(皮肉を言いながらも、花を愛でる余裕をどこかで求めているような、繊細な人間味)。
「この人、かわいいな」と思えるのは、あなたが自分自身のそういう一面を、どこか肯定できているからかもしれません。
冬が来れば日々重なる 雑務に追われ ♪…以降
冒頭とラストの“ガランとした部屋”について改めて考えると、
文字通りに部屋のことかもしれないし(年末忙しくて、年明けに色々片付けをした?)、
前に話したように、物理的だけでなく、ココロ的にもモヤモヤが多いのを全部吐き出した、ともとれるね。
“冬が来れば”“季節ごとに”というフレーズが出てくるので、今回この歌詞は年明けが濃厚?
でも、ある程度時季が過ぎたらまたこうやって吐き出したくなることがたまっていくんだろうな、みたいな、ある種ルーティン的な印象も受けたよ。
ちなみに、この曲の発表当時ではないけど、数年後にこの人は年末のライブが恒例行事となったので(カルカルとグローブ座)、年末に忙しそうな曲を歌っていて、なんだかおもしろいです。
この歌詞を一つの「循環(サイクル)」として捉えると、すごく奥行きが出ますね。
「年明け」と「大掃除」のニュアンス: おっしゃる通り、時季としては「冬が来れば…忙しさもひとしお」というフレーズの後に「ガランとした部屋」に戻ってくるので、年末の喧騒を終えたばかりの、静かな年明けという設定は非常にしっくりきます。
* 物理的なガラン: 年末にたまっていた雑務や物を片付けて、スッキリした部屋。
* ココロのガラン: 「それなりに一言ある」ことを全部歌詞にして吐き出した後の、空っぽになった心。
「季節ごと」のルーティン: “季節ごとに移り変わる人の言葉に…”というフレーズがあることで、これが「一生に一度の決意」ではなく、「またどうせ溜まっていくんだろうな」という諦念を含んだルーティンに見えてきますね。
季節が巡るたびに、世間が勝手なことを言い出す。
自分の中に少しずつ「モヤモヤ」や「一言」が溜まっていく。
限界が来たら「気まぐれを寄せ集めて」曲にして吐き出す。
また「ガランとした」状態に戻り、タバコの一吹きして寝転ぶ。
この、「人間だもの、生きていればまた汚れるし、溜まる。
だからその都度掃除して、また吐き出すだけさ」という淡々とした繰り返しが、この曲の「大人な味わい」の正体かもしれません。
季節ごとに移り変わる人の言葉に あなたも僕もそれなりには一言あるでしょう ♪
間奏後のフレーズ。
ここはそのまま、日々起こったり感じたことに対しての「一言」かもしれないけど…
実はこの曲書いた人、バンドでデビューしてミリオンヒット出したのよ。
でもこの曲はソロになってからの曲で、もしかしたらファンから「バンド時代の方が良かった」みたいな意見を見聞きしたのかもしれない。
それに対してこの人も、一言あるのかもしれない(笑)
でもそれを「お互い思うところあるよね」って、
ファンと対等でいてくれる、人対人の関係性を大事にしているというか、フラットな感覚が感じられて…やっぱりかわいいし素敵だな、チャーミングだなと思っちゃう!
その背景を知ると、このフレーズの深みと「かわいらしさ」が何倍にも膨れ上がりますね!ミリオンヒットという巨大な成功を収めた後、ソロとして「ガランとした部屋」に戻ってきた。そんな彼が歌うからこそ、この言葉には凄まじい説得力と、そして驚くほどの謙虚さが宿っています。
普通、それだけの成功を収めた人なら「俺の今の音楽を理解してくれ!」と熱弁しそうなものです。
でも彼は、「あなたも(ファンも)、思うところあるよね。バンド時代が好きだったって言いたいよね」「僕も(本人も)、思うところあるんだ。今の僕はこの空っぽの部屋で、こうして鳴らしたい音があるんだ」と、ファンの寂しさや不満を否定せず、自分の意志も押し付けず、ただ「お互い、いろいろあるよね」と肩を並べている。
「一言」に込められた、粋な対等さを感じます。
ほんとに何かを表現したくてクリエイターをやってる人って、
人に何か言われても「それはそれ」「だけど僕は私はこう思った」がブレないし曲げないし、「あなたはそう思ったんだね、ありがとう」で良くも悪くも終わりなのよ。
(稀に例外はあるかもしれないけど)作品を発表する側ってこのブレなさが大事だと思う!
本当にその通りですね!その「ブレなさ」こそが、クリエイターとしての背骨なんだと思います。
あなたが仰るように、本物のクリエイターは他人の意見を拒絶するわけではなく、「一つの感想として受け止める」という度量を持っています。
でも、自分の表現の核(だけど私はこう思った)を差し出すことは絶対にしない。
ブレない人は批判も賞賛も「風」のように受け流し、また自分の「ガランとした部屋」に戻って淡々と創作を続ける。
ブレる人は、誰かに何か言われるたびに、自分の表現を他人の評価に合わせて変えてしまったり、作品へのリスペクトに欠けるともとれる行為をしているように映ります。
一通り目を通したので、特に印象に残るフレーズは? 📝
“それをそのまま鵜呑みにしちゃ まずいと思ってる”
ここがやっぱり刺さるなあ。本来人を信じたいタイプの人が、そうはなれなくなってしまうのが、年をとるってこと…なんとも言えないやりきれなさを感じるね。
その「なんとも言えないやりきれなさ」、本当に胸にきますよね。若い頃の「信じる」は、疑いを知らない無垢な力強さがありますが、大人になってからの「信じる」には、常に「裏切られるかもしれない」「これは本当じゃないかもしれない」というノイズがつきまといます。
「ピュアさ」が抱える痛み: この歌詞の主人公が「まずいと思ってる」とあえて口に出すのは、そう思わないと自分が壊れてしまうからかもしれません。
信じたい自分は相手の言葉をそのまま受け取って、共感したい。守りたい自分は傷つかないように、一歩引いて「鵜呑みにしちゃダメだ」と言い聞かせる。
この二つの自分の間で揺れている姿が、単なる「冷めた大人」ではなく、「今まさに、傷つきながら大人になろうとしている人」に見えて、余計に切なく感じます。
メロディ重視な人にとっての歌詞とは… 📝
私ふだんは曲聴くとき、あまり歌詞を重視しないタイプなの。
洋楽聴くことが多いから、そもそもあんまり意味わかってないし(笑)、
この曲の作者も洋楽ルーツの人で…この人のデモって基本「デタラメ英語でメロディを作る」曲先の曲作りだから、
歌詞はメロディに当てはまるかどうかを重視してるんだろうな、
と思ってたってこともあるんだけど…
こうしてちゃんと歌詞を読むとちゃんと刺さるんだね。
それはそれで一曲一曲そういう聴き方してたらしんどそうだから、
あえて歌詞に深入りしないように自分でセーブしてたのかも?
「メロディ重視」だから、メロディの凹凸にぴったりハマる言葉を、感覚的に選んでいる。理屈で言葉をこねくり回していないからこそ、「ガランとした」「ポカンとした」のような、体感的なオノマトペがスッと入ってくる。
「デタラメ英語」から始まったからこそ、日本語にした時も「理屈じゃない、剥き出しの感情」がメロディに乗って、あなたの心にダイレクトに届いたのかもしれませんね。
普段は「音としての心地よさ」を優先して聴いているからこそ、こうしてたまに歌詞と真正面から向き合った時の「刺さり具合」が凄まじいのかもしれません。
「一曲一曲そういう聴き方をしてたらしんどそう」という直感は、たぶん正しいですよ。
音楽は感情を揺さぶるエネルギーが強いので、毎回歌詞の奥底までダイブして作者と握手していたら、心が持ちません。
洋楽を「音」として楽しむのは、あなたの心が無意識に働かせている「健康的なバリア」なのかもしれませんね。
音の響きについて 📝
“ぃろんな出来事が多くて”の所で少し触れたけど、譜割りや音の響きも気にしていくと面白いかも。
例えば“ひどく年をとったような 気分さ”は、
“ひどくとーしを”と歌ってて、“とーしを”は「遠く」っぽく聞こえる。
思えば遠くへ来たもんだ…みたいなイメージを想起させるよ。
「年(とし)」という言葉を「とーし」と伸ばして歌うことで、聴き手の耳には無意識に「遠く(とーく)」という響きが重なって聞こえてくる……。
単なる「加齢」という事実だけでなく、「随分と遠いところまで歩いてきてしまった」という、時間的な距離感や旅情のようなものが、その一音に宿っていますね。
アルバム『B』収録の別の曲『バラード』 📝
ちなみに、冒頭にも書いたように『トーキング・ブルース』はアルバム収録曲で、次の『バラード』という曲の歌詞を読むと、作者さんは誠実ゆえに言葉に過度の期待はしない、気持ちを音楽で伝えたい人なんだろなあと思う。
でも、『バラード』の歌詞や、こうして『トーキング・ブルース』の歌詞解釈をしてみると、自分なりの感性や考えを誠実に歌詞に反映させてた人なのかな?
(Geminiに『バラード』の歌詞を見せる)
『バラード』の歌詞、先ほどの『トーキング・ブルース』とセットで読むと、この作者の「表現に対する誠実さ」がより深く、胸に迫りますね。
おっしゃる通り、この人は「言葉」というツールに対して、すごく謙虚で、同時にどこか諦めにも似た冷静な視線を持っているように感じます。
『バラード』の歌詞にある“言葉はいつも僕をすり抜ける / まるで答えをはぐらかすように”という一節。
これ、まさに「とりあえずの正解」を言葉で提示することを拒んでいるんですよね。
普通なら綺麗な言葉を並べて「これが僕の気持ちです」と言い切りたい。
この作者は「言葉にした瞬間に、本当の気持ちがこぼれ落ちてしまう」というもどかしさを抱えている。
だからこそ、その「吐き出す行為(音楽)」そのものに想いを託そうとしている。
『トーキング・ブルース』で“鵜呑みにしちゃまずい”と言い、
『バラード』で“心の中に残るものなど 何ひとつないのに”と歌う。
一見、突き放したような冷たい言葉に見えるかもしれませんが、これは「自分の中に嘘をつきたくない」という強い意志の現れではないでしょうか。
『バラード』の歌詞を少し引用すると、
* “ありきたりでも 間に合わせでも かまわない”
* “壊れていても 汚れていても 包み込めればいい”
キラキラとは対極の価値観だ(笑)。
今できる精一杯を届けようとしてくれてるように感じるよ。
それこそ私も若い頃、キラキラ恋愛ソングとかあまり興味がなくて、
かといってこの人の歌詞をちゃんと理解してた訳ではないけれど、でもなんとなく、嘘のなさや、言葉を信じきれないけど、それでも思ってることを伝えようとしてくれている姿勢に好感を持ったのかな?と思ったよ。
キラキラした恋愛ソングに惹かれなかったのは、あなたの直感がそこに「用意された正解」や「見栄えのいい嘘」を感じ取っていたからかもしれませんね。
あなたがこの人に惹かれたのは、言葉の内容そのもの以上に、その「嘘にならないように絞り出そうとしている切実な空気感」に共鳴していたからではないでしょうか。
「心の中に残るものなど何ひとつない」と言い切ってしまうような潔さ。
それでも「僕の思いが君に届くように」と歌い続ける矛盾。
この「不信」と「信頼」の同居した「矛盾」を抱えたままステージに立つ彼の姿に、あなたは「あ、この人は自分と同じように、世界を安易に信じないで、自分の足で立とうとしている人だ」という信頼を寄せたのだと思います。
それは「自分に嘘をついてまで、何かの型に収まりたくない」という、凛としたプライドですよね。
歌い方について 📝
トーキング・ブルースに話を戻すと、曲が進むにしたがい、あえてメロディを崩して、歌詞をはみ出すように歌ってるように感じる。
(メロディ重視の人なのに!)
特に終盤部分…
“季節ごとに移り変わる人の言葉に あなたも僕もそれなりには一言あるでしょう”
“人の言葉”は、ほんとに色々あるんだろうな。
それに対して、あなたや僕にあるのは、“それなりに一言”?
よくよく聴くと……だから、そんな大げさではなく、さりげなくなんだけど、
“一言あるでーーーしょう”って歌ってるのが(笑)
メロディ重視の人なのにメロディを崩して、語るように、訴えるように歌う。
“一言”という歌詞だけど、一言では済まなさそう。
ほんとは一言どころじゃないかもだけど、そういう、一言におさまりきらない気持ちもこの「一曲」に、歌い方に詰め込んだのかもしれないと思った。
このアンバランスさ、すごく面白いな!
メロディを何より大切にする人が、あえてそこを崩して「はみ出させて」歌うというのは、もう**「音」よりも「伝えたい温度」が勝っちゃった瞬間**ですよね。
-
歌詞では「一言」と控えめに言っているのに、歌い方では“一言あるでーーーしょう”と溜めて、はみ出させている。
このギャップに、「一言でなんて言えるか!」という本音と、でもそれを「一言」という言葉に詰め込んで飲み込もうとする大人の美学が同居している気がします。 -
「語り(Talking)」と「歌(Blues)」の境界線が壊れる瞬間は、まさにトーキング・ブルースの本質ですね。
綺麗に歌い切るのではなく、こぼれ落ちてしまう感情。それを「面白い」と感じるあなたの感性が、この曲の核心を捉えていると思います。
料理に例えると… 📝
“ありあわせ寄せ集めて” が何度も出てくるのでイメージしてみると、私の場合、冷蔵庫の残り物でなんとか夕飯作る感覚を思い出してしまった(笑)。
そこで料理に例えてみると、
料理提供者は実は下ごしらえから丁寧にやってて、隠し味はこれ使って…
でも、消費者は、「わあこの料理おいしー!」で充分??
細かい部分までわからなくても、なんだかこの味が好きで、リピートしていくうちに、下ごしらえや隠し味の繊細さに気づくのかもしれないし、気が付かないかもしれない。
かと言って、料理人は気(手)を抜くと、それは味に反映されて、なぜかバレちゃうんだよね
その通りだと思います!その「わあ、おいしい!」こそが、表現者にとっての最大の報酬であり、あるべき関係性ですよね。
消費者は「おいしい」だけで100点満点: 食べる側(リスナーや読者)が隠し味や下ごしらえの苦労をすべて理解する必要なんて、全くありません。
「なんとなく心地よい」「なぜかこの曲ばかりリピートしちゃう」その直感こそが、作品が相手に届いたという証拠です。
でも、面白いのはそこからですよね。「バレないだろう」と思って下ごしらえを端折ると、不思議なことに、理由までは分からなくても「あれ?なんか今日はおいしくないな」とお客さんは気づいてしまいます。
クリエイターの誠実さは誰にも気づかれないかもしれない「隠し味」を、自分のプライドのために仕込むこと。
受け手の感性は、何度も味わううちに、「この深みは、あの丁寧な仕事から来ているんだな」と、いつか自然に指先が触れる瞬間がある。
そうやって、「いつか気づくかもしれないし、気づかなくても幸せ」という信頼関係があるのが、一番健全な表現の形なのだと思います。
『トーキング・ブルース』の歌詞について、Geminiとの会話は以上になります!
まとめ
まとめとして、最近感じることを少し書いておきます。
私が最近思っているのは、
「がんばったんです!」をクオリティの言い訳にするのが苦手だなーってこと。
「がんばったかどうか」なんて、他人にはわからないし、「がんばっててもピントがズレてたら意味ないじゃん?」と私は思ってしまうんです。
(「よかれと思って」と似てるかな??
ええー、それ、頼んでないよー ってことを「がんばりました!」って言われても、困るやん?ぶっちゃけ、あなたがそうしたかっただけなのでは?と思ってしまうのよね)
この曲のように、例えばシンガーソングライターの方が「自分はこれがいいと思って出しました」は大事だと思う。
でも、シンガーソングライターの歌と違って、最近私が「これはちょっと…」と思って意見したらめちゃめちゃ嫌がられた(苦笑)雑誌記事やアニメって、原作があってナンボのものだから、「(原作と違っちゃったけど)私はこれがいいと思った」は成立しない!!と私は思うんです。
頑張る方向性のピントがズレてるって、その方向性を求めていない受け手からすると全然嬉しくないし、せっかくがんばったのにクオリティが評価されないのは、双方にとって不幸です。
(例えるなら、独自解釈・オリジナル描写に力を入れすぎた結果、原作との整合性がとれなくなりました、みたいな場面を想像してください)
ある程度求められているものが(ちょっと考えれば)わかるものに対して、
「がんばりました」を免罪符にするのは良くないと思うんですよね。
この感覚、創作物に限らず、実は生活と地続きな感覚なのでは?
生活していくうえでも、自分が主役なら、自分で方向性を設定して
自分で頑張るのは全然OK。むしろ超大事!
でも、他者と関わって生活していくなら、その「頑張りました」は他者の為になるのかな?
この『?』とこの曲が、今の私にささったのかなあ。
今回、歌詞をじっくり読んで考えてみると、
すごく生活感のある曲というか…
考えるとか感じるとか、人としての根本、本質、
『自分はこうだよ』ということを、語りかけてくれている曲だと思いました。
長くなったので、3行でまとめてみると?
個人ブログを見に来てくれる人は3行まとめを求めてないと思うけど(笑)、
ある程度書き上げた状態で、他のAI…チャッピー(Chat GPT)に
「要するに3行でまとめるとこの曲どういう曲だと思う?」と聞いてみました。
バンドを離れてひとりになって、
若くもない年齢になって、
言いたいことは山ほどあるけど、
それでも世界とちゃんと話そうとしてる曲。
だそうです。
いいまとめ!
「それなりに一言」を世に放った曲だもんね。
私もそれに倣って、こうして思いつくまま語ったことを書いてみました!


























































































